虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「TAKESHIS’」

toshi202005-11-05

 監督・脚本・編集:北野武


 見終わって、ああ、なるほどな、と思った。いや、この映画がベネチアでサプライズ上映で初出しされたとき、全然理解されなかった、という反応についてである。この映画ね、外人にわかるわきゃないよ。「座頭市」の面白さならば外人にわかるかもしれないけど、これ、おもしろがれるのは、芸能人・ビートたけしという「虚像」を知っている人間でなくちゃ、半分も理解できないはずだ。


 つまり、この映画、北野武本人が、虚像「ビートたけし」「北野武」を外から眺めてみる試みである。


 この映画自体が、そもそも北野武の妄想なんである。俺が売れてなくて、役者志望のまま、この年齢になったならば、こんな夢を見るんじゃないか、というね。妄想の中のたけしの夢なんである。「売れた」芸人は売れる夢は見ないけれど、「売れない」人間は「売れる」夢*1ばかり見る。それを北野武監督なりに具現化してみせたんである。
 たけしって、もともと破滅願望があると思うんだけれども、突き詰めて考えてみりゃ、「役者」「芸人」のたけしはサディスティックな役柄が多いけれど、「映画作家北野武、って基本的にナルシスティクかつドMなんだと思う。主人公は決して幸せなんかにゃならない。テンパってどんづまって、最後は元の木阿弥になるか、死ぬかなわけだ。でもそれが作家「北野武」は気持ちよくって仕方がないんだと思う。
 で、この映画では北野武が役者として初出しされている。要はなじられまくって、いじられまくる。さげすまれて笑われて、で、夢の中ではモテモテでやりたい放題。虚像の中のビートたけしのつもりでいい気になっては見たけれど、結局、いい女も金も車もなくなって、撃ち殺されちゃう(夢なのに)。それが、たけしのマゾサイド・役者「北野武」の役回り。それを見て、監督北野武は気持ちよがってる(爆)。


 外からみた大物「たけし」のパブリックイメージ*2をもうひとりの「たけし」に演じさせる、という二重構造が面白さの肝で、それは成功してたと思う。ただ、それをおもしろがれるのって、TVのたけしを知っているという前提がなくちゃならない。
 そういう意味では、たけし映画で、実は最も日本人向けの映画かもしれないと思った次第。いや面白かったです。俺は、ですけど。(★★★★)


公式ページ:http://www.office-kitano.co.jp/takeshis/

*1:この映画ならば売れない「たけし」が売れた「たけし」の夢を見るってわけ

*2:だから大物「たけし」も戯画化されている