虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「容疑者 室井慎次」

toshi202005-08-28



公式ページ


「あんたが追えと言えば捜査員は追うし。確保しろと言えば確保するし。」


 「踊る大捜査線」というドラマは、エリートと現場の相克を描いたドラマだ。湾岸署に代表される所轄署の「現場」組は「ライト・サイド」、警察庁キャリアに代表される「エリート」組はダークサイドという、明確な色分けがなされており、その絶対的な対立項は劇場版第2作まで明快に貫かれている。そのダークサイドからの転向組が、室井慎次に代表される歴代管理官たち。
 彼らはその絶対的な対立項の狭間で揺れる者たちである。「踊る大捜査線」が、刑事ドラマにおける警察の「リアル」や「現在」から次第に遊離し、劇場版で現代の「ファンタジー」となるに至って、そのダークサイドとライトサイドの間を結ぶ象徴的存在になっていったのが、本作の主人公・室井慎次柳葉敏郎)である。


 ドラマ版から続いてきた「エリート」と「現場」の溝は、劇場版第2作になっても一向に埋まることはない。「現場を理解できる」エリートは室井しかいない。そういう状況が続く中で、「踊る」本編の主人公・青島ら湾岸署の人々が見出した「正義」とは「上司は室井さんじゃなきゃやだい!」「室井さんしか信用できない」、という「室井絶対主義」であった。


 シリーズを通して脚本を書いてきた君塚良一が監督した本作は、「踊る大捜査線」のスピンオフ作品であり、そして、その「室井絶対主義」がいよいよ極まった映画である。


 新宿を舞台にしながら、わざわざ福島県に新宿に似せたオープンセットを作って撮影し、ファンタジー色を強めた本作において描かれるのは、普通に捜査してるだけなのに「エリート組」に足を引っ張られまくったあげく、しまいには逮捕されてしまうという、理不尽な逆境に見舞われる室井の姿だ。エリートたちは保身や、政治的駆け引きに終始していて何もしない。なぜか悪意を向ける悪徳弁護士軍団に狙われた室井を助けるのは、弱小弁護士事務所の新人弁護士、彼の「舎弟」である歴代管理官や、「現場」組である。いつも顔面に力を入れまくって、仏頂面を下げている室井。そんな彼はエリートとして有能というよりは、「現場」志向が強すぎて、政治的な駆け引きに頓着しない男で、上から嫌われるのも当然という気がするのだが、そういう男こそ警察キャリアの理想的な姿として描いている。


 なんせ「ライトサイド」の連中は残らず、室井を好きになるのだから。すげえカリスマっぷり。


 だが、その「室井絶対主義」に強まっていくと、逆に「踊る」は映画としてどんどん不自由になっていく。室井の受難を描くのにはご熱心だが、肝心の事件自体がかなりおざなりで、彼がダークサイドと戦って、逮捕されてまで追い求めた真実は、実に安っぽくしょうもない。真犯人も敵もあっというまにへっぽこになっていく。劇場版の2作が持つ欠点をそのまま持ち越してしまっている。*1


 「踊る」の不文律に縛られ続けた本作は、そこから逃れることに成功した佳作「交渉人真下正義」とは対照的な凡作以下の作品になってしまったと思う。(★★)


 余談。この映画、演出面で色々突っ込みどころがあるのだけど、特に不自然な広さのセットをわざわざ用意するのが気になった。敵側弁護士の灰島法律事務所のだだっぴろい会議室はおもわずずっこけた。広すぎ。「監督」君塚良一は何を表現したかったの?あの部屋で。演劇のような面白さを出したかったのか?不自然なだけで、全く余計なことだと思うが。
 あと、室井の、過去についての独白するシーンがあるのだが、その時の室井の口調が「AFLAC」のCMみたいで思わずにやにやしてしまった。いつ、「彼女は今、ガン保険を勧める仕事をしている」っていうかと思って冷や冷やしたよ(するな)。

*1:つーか、君塚良一って「事件」をきちんと描くことに興味を失ってるんじゃねーか?真犯人の言いぐさにはさすがに愕然としたぞ。なんだあ、そりゃ。