虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

喜劇としてのスクールランブル


 アニメ版「スクールランブル」の最終回を見た。原作の決着が付いていない以上、安易な決着は付けられないということで、続編への含みを持たせたまま、「とりあえず終わり」と言った風であった。「2」も内々に決定しているようだし、楽しみに待ちたい。

 さて。


 「スクールランブルSchool Rumble)」は喜劇である。


 「スクールランブル」はラブコメというジャンルの物語である。当たり前だが、ラブコメとはラブ・コメディの略称である。しかし、ラブコメと呼ばれる作品のなかで、コメディ、いやさ喜劇足り得ているものがどれほどあるというのか。
 まあ、世にどれほどのラブコメがあるか、見当もつかないし、俺はそっちの方に詳しいわけではないのだが、スクールランブルの最大の特性は、恋愛する者の「滑稽さ」というものを惜しみなく見せつけることにある。その滑稽さは男女のキャラクターを問わない。それがすごい。分け隔て無く滑稽なのである。
 恋愛を喜劇にすることは実はもの凄く難しい。それは大抵恋愛を描く作者の心理は、恋愛するキャラクターに主観や憧憬が「入って」しまうからで、そうなると「滑稽」にはならなくなる。ところが、作者の小林尽氏は恋愛するキャラクターへの客観視が出来ているのである。故に、恋する人間の「滑稽さ」を描ける。その距離感のバランスは見事というしかない。


 「スクールランブル」は、女子高校生塚本天満が、来年には転校してしまう同級生の烏丸くんに告白するまでの物語である。そこが、あくまでも「スクラン」の「本筋」であろう。それは今も(実は)変わってない。
 最初は彼女と、彼女に惚れている男子高校生(不良)の播磨拳児の、告白しようとする七転八倒を描くのが、序盤の基本的な展開である。ところが、天満が烏丸と一緒に昼食を食べることが出来るくらいの「友人関係」になった辺りで、彼女の「七転八倒」は一応の停滞を迎え、烏丸と天満が二人きりで飯を食う姿にショックを受けた播磨が放浪したり、漫画描き出す(笑)辺りから、この喜劇は「拡散」していく。


 「スクラン」が漫画としてブレイクしたのは、この「拡散」の凄まじさだろう。それでもなお、スクランは喜劇でなくなるどころか、喜劇としての練度を増していく。誤解、勘違い、といった恋愛ものにはよくあるシチュエーションを、作者はあくまでも「滑稽さ」に転化していく。その姿勢は今、連載中の原作でもいまだに徹底されている。
 さらに、熱狂的なファンを生んでいるのはどのキャラクターも恋愛に「真剣」「大真面目」であるということ。スクランファンの間では「真剣」でないキャラほどバッシングを受ける。軟派でいい加減だけどモテる今鳥や、優柔不断で身分不相応にも(笑)天満に横恋慕する奈良なんかは、毛虫のごとく嫌われたりする。他の漫画では主人公になりそうなキャラでも、「滑稽」でなければスクランでは愛されない。


 かく言う俺も、この「スクールランブル」に嵌っている。泥中、首まで……っ!って感じに。コミックス全巻購入したし、サントラCDも買ったし、今まで買ったことない「マガジン」をスクランのためだけに買ったりしてる。
 ハーレム漫画だと思って敬遠してる人は、一度きっちり読んで欲しいと思う。これは誰でも楽しめる、本当の意味での「ラブコメ」。「恋愛に関する喜劇」なのだから。