虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

冨樫義博の光と闇

toshi202005-02-04


 ジャンプコミックスの発売日なので色々買ってしまう。「ハンター×ハンター」21巻「デスノート」5巻「武装錬金」6巻を購入。
 「幽遊白書」完全版も欠かさず買っている。13巻14巻も購入。ここで仙水編が完結し、魔界統一編に突入する。


 俺は仙水編が大好きだ。仙水は冨樫義博が生み出したキャラクターの中でも最も完成された一人だと思う。
 当初、仙水編を始めた頃は、幽助が光、仙水を闇の合わせ鏡として捕らえようとしていた節がある。ところが描いていく中で、あまりにも作者の中で仙水というキャラクターが大きな存在になっていくのが見て取れる。
 この仙水の一個の人間としてあまりに完璧過ぎるゆえの孤独・絶望。深すぎる闇は光すら飲み込む。完成されてしまったからこそ、彼は死ぬ以外になかった。幽助が魔界の子孫でした、という荒技を使っても。魔界統一編はいわばその荒技の尻ぬぐいでしかなかったのでは…とすら思える。
 仙水編は主人公たちの方が、仙水という男の世界の異物でしかなかった、という結末に至る。それは、主人公達が追い求めてきた強さへの意義を失わせる。仙水は最後まで「主人公を受容」することなく「拒絶」しながら樹とともに消えていく。


 現在連載している「HUNTER×HUNTER」で休載を繰り返す、冨樫義博の作家としての立ち位置は微妙だ。だが、そのことが彼の休載が決してやる気のないこととイコールではない。もともと週刊連載に向いていないのだ。
 冨樫義博は月刊向きの作家で、それは「レベルE」で証明済みだ。週刊少年ジャンプに月1で連載された「レベルE」は富樫義博作品の中で最も完成された、冨樫作品の最高峰であろう。けれども、そんな「冨樫イズム」ではエンターテイメントとしては弱い。「レベルE」は少年漫画としては明らかに異端である。本来、異端であることが正常である冨樫義博は、週刊連載をすることで、正道のエンターテイメントに向き合える人なのかもしれない。


 もちろん、向き不向きが、休載や雑誌にラフ画原稿を掲載することの正当化になるわけではない。しかし週刊連載する(=エンターテイメントする)中で描こうとしているものには明快な意思が感じられる。それは21巻を読めば分かる。


 濃い。異常に濃い。そこには週刊連載としての形態を維持してでも描こうとしている「何か」を感じることが出来る。コミックス化されたときに感じるこの圧倒的濃さは、他の作品(デスノートですら!)の追随を許さない快感だ。NGL編においても、様々な思惑を孕んだキャラクターたちの「価値観」がある。冨樫はそれを否定しない。
 富樫義博はかつて自分が描き得なかった「世界」を描こうとしている。そんな気がする。冨樫の年齢からすれば週刊連載を続けるのは「HUNTER×HUNTER」が最後になる可能性は極めて高い。その中で自分の作品を週刊連載的に濃さを水で薄めることなくエンターテイメントとして完成された結末へ向かおうとしているのだと思う。それは幽遊白書ではなし得なかったことだからだ。


 21巻でゴンたちは自分たちの未熟さが生んだ悲劇と出会う。彼らはもうその世界において万能ではなく、一個の人間だという現実を作者は主人公たちに突きつける。それは仙水編において「主人公たちへの拒絶」した形ではなく、「主人公たちを受容」しつつ、主人公達の「思い」だけではままならない一個の世界を描ききろうとしている。富樫義博の目指す地平はそこにある気がする。