虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「MIND GAME」は高畑勲の血族である!!

toshi202004-08-16


 「マインド・ゲーム」を見てきた。
 面白かった。
 映画として「傑作!」というには足りないのだが、その理由が「前半が神懸かりすぎて、普通に面白い後半が凡庸に見える」、という非常に贅沢な理由であり、アニメーションとしては今年出たアニメ映画の中でも屈指の映画であろうことは疑う余地がない。あと、もうちょい尺を短くしてくれたら完璧だったなあ。


 さて。


 私はこの映画を見て、ある確信を得た。


 これからは高畑勲の時代だ!!…と。


 …いやいや。ギャグでもおかしくなったんでもなしにそう思ってます。


 なぜこんなことを口走ったかってえと、この映画、高畑監督が求めてきた「漫画映画と写実的アニメ映画の融合」という大命題の、ひとつの答えだと思ったからである。


 この映画が語られるとき、監督湯浅政明の経歴から、この作品は「クレヨンしんちゃん」や、スタジオ4℃との関連性が取りざたされる。実写とアニメの鮮やかなる融合、変幻自在の物語、先鋭的な演出スタイル、真似の出来ない神懸かり的作画&動画など、この映画は監督の才能無くしてはあり得ない映像世界が連綿と続いていく。
 なるほど、アニオタよりも映画マニアに支持されるアニメ映画シリーズや、アニメ技術の最先端を突っ走るプロダクションとの比較がふさわしいかもしれない。


 だが、俺、映画を見ながら思い出したのは高畑勲だった。
 思い出してください。キャラクターが変幻自在にキャラスタイルを変える、ということを湯浅監督よりも先に「平成狸合戦 ぽんぽこ」においてやっていたのは、高畑監督なのではなかったか。。
 高畑監督の考えていた、リアルアニメと漫画映画の系譜の融合、という試みが 今!花開こうとしているのですよ!


 経歴を見ると、湯浅監督は以前「ホーホケキョとなりの山田くん」に参加しているではないですか。
 しかし、評論家筋は概ねこの事実を無視するであろう。「となりの山田くん」はスタジオジブリにおいて最大の汚点であり、かつてない興行的にも、批評的にも惨敗、と高畑監督の名声どころか監督人生を大きく後退させるなどの痛い代償を残してしまったアニメだからだ。

 しかし、俺はあの高畑監督の実験精神を忘れていない。俺、初めに見たのが試写会だったんだけど、結構素直に感動したのだ。その後も2回ほど劇場に足を運んで見ている。そして、この実験こそが高畑監督が構想する「平家物語」へと続くのだ、と次回作に思いを馳せたものでした。


 俺は、高畑監督を先見の人だと思っている。宮崎監督は己のスタイルを崩さずに冒険をする人だが、高畑監督は戦略的なアニメ監督で、先を見通す力を持って冒険し、多彩なジャンルを開拓していった人だ。だが、となりの山田くんにしろ、ぽんぽこにしろ、不幸だったのは、高畑監督が天才アニメーターじゃ無かったことである。
 となりの山田くんだって、俺はものすごい戦略的作品だったと思うし、先見の作品だったと思う。ただ、この「漫画とリアルの融合」という実験をもし若手に任せられたならどんなに良かったか。だが、興行的問題においてネームバリューの関係上、御大が監督する以外になかったということ、そして御大がアニメーターとしての才能がなかったことが、結果的に実験を尻すぼみさせてしまった。


 しかし!!諸君!!高畑監督の遺志は!いや高畑監督は死んではいないけれども!いまや!若き天才の手によって花開こうとしているのである!!


 このアニメの意義は、漫画映画とリアルアニメ、そして実写とアニメの行く末に光を掘り当ててくれたからだが、それを指し示したのは高畑監督だと、当ダイアリーは主張するものである!以上!