虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「クィーン」

toshi202007-04-26

原題:The Queen
監督:スティーブン・フリアーズ
脚本:ピーター・モーガン


 「あの」女王の話である。「THE」女王。エリザベス2世その人を、大胆に映画化した作品である。
 時は1997年。新首相トニー・ブレアは、スコットランド出身で革新派の急先鋒であり、反王室の考えを持つ女性を妻に持つ男である。彼と、彼女が出会いから、物語は動き出す。


 英国は伝統の国であるが、同時に革新の国でもある。伝統と革新が交錯するとき、ドラマは生まれる。チャーチルが首相の時代から「女王」の看板を背負ってきた女性と、伝統と戦うことで首相になった男のドラマが、この物語の縦糸となっていたりする。
 このヘレン・ミレンの「そっくりぶり」も見事なのだが、この映画の肝はその「実像」の浮かび上がらせ方にある。
 面白いのは、英国王室(&政府)と、民衆の感情のパイプとして、マスコミ(実際のテレビ映像&新聞見出し)を置き、公的な存在を移すマスコミを傍観する女王を描くことで、私的な空間に立ち入ったような錯覚を起こさせることに成功している。大衆がマスコミを通じて英国王室を見るように、女王もまたマスコミを通じて大衆を見ている。
 「女王」が対峙するのは、かつての「嫁」ダイアナ元王妃の「偶像」である。「実像」の彼女を描かないことで、「実像」への複雑な思いと、「偶像」の彼女の落差にとまどいを隠せない女王の感情を、ヘレン・ミレンは見事に演じてみせる。


 女王はマスコミと距離を取り、伝統と格式を重んじることを体に染みこませて生きてきた。だが、自らの「生き方」そのものが、「偶像」の中の「ダイアナ」と対極にあった。「ダイアナ」は死ぬことで大衆の大部分を味方につけて、結果「格式」に生きる女王を追いつめていく。
 決して軽々しく感情を表にだしてはならない王族の人間の感情をうまく表現していた、と思ったのは、ブレアと電話で会話するシーン。ブレアとの会話で最初は受話器を置いて、会話していた彼女が、国民から本当の本当に嫌われはじめていると知って、思わず受話器をとって反駁する、という場面は「巧い」と思った。
 英国の「母」として常に国民から敬意を払われてきた彼女が、奔放でマスコミ受けのいいダイアナが民衆の気持ちを掴んでしまったことで、「姑」のごとき反発を受けてとまどい、苦悩するという展開にはなるほどな、と感心した。


 英国王室が、一人の民間出の女性にひっかきまわされた一週間の中で決して世に出ることのない彼女の「哀しみ」と、伝統に生きた彼女の「実像」に触れて思想を超えて惹かれていく男。相容れないはずの2人の、奇妙な交情のドラマとしても見応えのある秀作。