虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「LOFT/ロフト」

toshi202006-09-14

監督:黒沢清


 恋愛ものを書けない小説家であるヒロインは、編集者の紹介で人里はなれた家に引っ越す。それが奇妙な事件との出会いであった。


 変な映画である。いやまあ、なんつーのかな。なんつっていいのかわからん。まあ、破天荒な映画にはちがいない。
 黒沢清という作家は、おそろしいほどシンプルな話をする作家。ただ行間の中にまでぎゅうぎゅうに雑多な要素を詰め込んで観客を煙に巻くのが好きな人。なんではないかなあ。と最近思う。その雑多こそが映画なのだよ、と言われればそうなんだろうが。いやあ、なんでそこまで「雑多」にこだわるんだろう、とか思う。
 しかし、物語を手がかりに映画を読み取ろうとする俺からすると、余計なことをしとるようにしか思えない。だって人間関係を整理しちゃえば、おっそろしく単純な話だと思うんだよな。


 で、この映画、ホラーじゃない。はずだ。はずなんだが、なぜか演出はホラー調だ。監督、自家中毒を起こしてはいまいか?それとも、黒沢流のギャグ?ミイラだの意味深な沼だのが出てくるが、その使われ方は恐ろしく表層的な記号として使われている。俺がわかってないだけなのか?*1
 そして、この映画は恋愛とそれをめぐるサスペンスでもあったりするわけだ。恋愛ものとしてはつまらない。黒沢映画は恋愛を語るにはあまりにも演出にもシナリオにも「体温」がなさすぎる。愛を語り合っても、抱き合ってもキスしてみせても、ドキドキしない。すげえ冷たそう。サスペンスとしてもおっそろしく単純だし、それ単体としてレベルが高いとも思えないのだが。演出と物語が融合することなく、乖離したまま混沌としてそこにある感じ。それで許されてしまう作家が黒沢清なのだろうか。


 この話、本来ならば2時間サスペンスドラマみたいなベタベタな演出をすべき映画のように思うし、その方がかえって面白かったんではないだろうか。だが、黒沢清はそれを拒否している。自らの求める確固たる映画スタイルで映画を作ってみせる。それがこの映画を、恐るべき怪作*2にしている気がする。オチの唐突感なぞギャグに近い。それは意識的なのか、それとも無意識かはわからんが、俺には黒沢清が自虐の境地に陥ってる気がしたのだ。


 自らが紡ぎ出した物語に寄り添うことを拒絶した黒沢清はどこへ行こうとしているのだろう。この作品、俺にはわからん。演出の方向性が俺なんぞの理解を超えている。必見かどうかは知らないが、演出と物語が混沌としたまま、それぞれがてんでバラバラに突き抜けてしまった珍作に見えた。(★★)

*1:こんな単純な話なのにわからんことが多すぎるのはなんだろう。

*2:例えるなら、押井守の脚本・監督の「魔女の宅急便」を見てしまったような