虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「エミリー・ローズ」

toshi202006-03-15

原題:The Exorcism of Emily Rose
監督・脚本:スコット・デリクソン
共同脚本:ポール・ハリス・ボードマン 撮影:トム・スターン
公式サイト:http://www.sonypictures.jp/movies/theexorcismofemilyrose/


 視聴者に「もしかしたら霊っているかも」と思わせたら霊能者の勝ち


 ・・・と書いたのはナンシー関だったと思う。そういう意味ではギボアイコは勝ちであり、オーツキ教授は負けなんだとか、そういう話だったと思った。
 俺もそう思う。
 科学が世界を回す時代である。石油で戦争が起こる時代である。それでも、神を信じる人や、霊を信じる人とか、前世あなたは大航海時代のだれそれの生まれ変わりとか言われて「そうかもー」とか思う人が後を立たない。世に「なんとか」の種は尽きまじ。


 誤解しないで欲しいのはそういう人をバカにしているのではない。俺だって前世ってあるかもー、とか霊っているかもー、とか思うことはある。後で考えればバカらしいとは思いつつ、心の片隅では「でももしかしたら・・・」と、目に見えないものの存在を信じたいと思う気持ちもないではない。


 で、この映画である。実際にあった「悪魔憑き」について真剣に討議した裁判を映画化したものだ。


 面白かったんだが、見たあと速攻で感想書き始める俺にしては珍しく、咀嚼するのに時間を要した映画だ。*1
 


 この映画の主人公はやり手の女弁護士・エリン(ローラ・リニー)。絶対有罪になるべき犯罪者を無罪放免にして平気のヘーな女である。無論神なんぞ信じちゃいない。で、彼女の事務所に教会から新たな依頼が来ていた。それが教会が悪魔祓いの許可を出して儀式を行い、結果それを施した少女が死んでしまい、過失致死罪として逮捕されたムーア神父(トム・ウィルキンソン)を弁護して欲しい、との依頼だった。
 彼女は出世と名声のために、二つ返事で引き受け、神父に会いに行く。彼女は司法取引を薦めるが神父は「裁判で語りたいことがある」と頑なに拒否。司法取引するなら国選弁護士に依頼する、という。機会を逃したくない彼女は、「悪魔祓いの神父」の弁護をすることを決断する。

 裁判と平行して被害者であるエミリー・ローズ(ジェニファー・カーペンター、熱演)が悪魔に取り憑かれていく過程が、スコット監督得意のホラー描写を駆使して描かれていく。そして、その悪魔憑きと悪魔祓いについて、裁判上、様々な反証、検証が行われていくわけである。
 この映画の面白いところは、検事が「自分は敬虔なキリスト教信者」と名乗り、その彼が反証をおこなっていく過程で「神父の言ってることは嘘っぱちだ!」という姿勢に傾いていき、一方神なんぞ信じていないけど出世のために神父に近づいた女弁護士の方は、逆に神父への信頼とともに悪魔憑きは本当にあるかも、という方向に傾いていくことだ。


 この映画を見終えた時にエリンについての物語だったと目星を付け、感想を書こうと思ったのだが、そこで「あれ?」と思ってしまったのだ。女弁護士のエリンは神父と触れ合ううちに神父の人柄とエミリーへの愛情をつぶさに感じ、「悪魔憑き」はあるかもしれない(またはないかもしれない)という結論に達する。この映画においての着地点としては正しい。
 だが、俺だったらどうか、と問いかけてみた時点で俺の意識は混乱した。「いや、俺なら彼女みたいに信じないだろうな」と思ってしまったのだ。確かに、この映画で神父は実に誠実な人物として描かれ、彼の言い分もまた一本筋が通っているように聞こえた。だが。それでも俺は悪魔憑きなんてものがあるとは思えなかった。俺も心から「悪魔憑き」なんてあるわけねーと思う。


 だが、これは所詮、「信ずるもの」が違う文化圏にいるからで、悪魔を信じる「素地」があるかないかの違いである。
 要は宗教でも、オカルトでも、「あるかも」と思わせた時点で勝ちである。毎朝経を唱えて功徳があると思ってしまえばあるし、前世があると思ってしまえばある。霊がいると、一度思えばいるのである。*2


 実際に悪魔憑きがあったかどうかなんてのは関係ない。けれども、その真実と虚構の狭間に巧妙に持っていく過程を体験できるだけでも、この映画は一見の価値があるのである。(★★★★)

*1:ちなみにこの映画についての感想はid:teskere:20060311#1142131335が素晴らしい。私のこの映画について感じてたものを先にうまくまとめられてしまった。本文もこのエントリに多少インスパイヤされている。

*2:オタクなら脳内恋人だっていると思ってしまえばいるしね。とか言ってみる。