「ランド・オブ・ザ・デッド」
「どうする?」
「ちょっと待ってくれ。…ゾンビになるのも悪くねえ。」
というわけで、見てきましたよ。
いやあ、面白かった。面白かったなあ。
ゾンビに襲われる恐怖を高める方向性の極限は「ドーン・オブ・ザ・デッド」にさっさと譲り、御大が目指したのはむしろ、社会とゾンビの関係性を深めていく「ショーン・オブ・ザ・デッド」の方向性。それをさらに突き抜けてみせる作品であった。
かといって、この映画が社会派ホラー作家と言われてる(らしい)ロメロ監督が、高尚なテーマに真摯に向き合った映画…かというと全然ちがう。セレブとスラム、さらに最下層のゾンビ、という色分けだけ明快な小都市という設定は、社会の縮図というには、あまりにも社会体系の描写がぞんざいに過ぎる。
むしろ、この映画でロメロ監督が描くのはゾンビになってヒト(または金持ち)を襲う快感、である。つまり…
ヒト捕まえて、き…キモチイイィィィッ!*1
…というヒト(セレブ)ゲッチュな映画なんである。つまりゾンビ愛が高じて、ロメロ爺の意識は虐げられた怒りを爆発させ人を襲い始めるゾンビ側に回ってしまったのである。この作品でゾンビはどんどん進化していく。単純行動しかできぬが故に虐げられてきたゾンビたちが、道具を使い、簡素ではあるが言語を持ち、感情や表情まで持ち始めるのである。仲間を虐殺されて悲痛に咆哮し、道具を始めて使ったときは素直に喜び、人を襲うときは快感に顔がゆがむ。そして、彼らは理想の社会を求めて放浪する。
ロメロ監督はゾンビを貧困層の人々の怒りに見立てていた、というが、その線でいえば、ゾンビ(貧困層の人々)たちよ、進化して立ち上がれ!と挑発しているのかもしれない。
ヒトに非ず、されど人なり。
ロメロ監督が20年を経て、たどり着いた新たなるゾンビ像。それは、あまりにも希望に満ちたものであった。
ゾンビになるのも、いいじゃない?ゾンビになろうぜ!(★★★★)