殺し屋ゼロ
一人の男が殺され、その遺体がニューメキシコの州境で発見された。レストラン関係のセールスマンをしているその被害者。妻もいるその男は何故殺されたのか。
いや、何故殺されなければならなかったのか。
「サスペクト・ゼロ」を見た。当初何も期待してはいなかった。そんな高い前評判が聞こえてきたわけでもない。しかし、ラストを見た瞬間、涙がこぼれた。
シリアル・キラーについてのサスペンス。このカテゴリー分けに異論はない。そして、そんな映画がごまんと作られてきたことも知っている。だけど、この映画はそのカテゴリーに存在しながら、ジャンルを超えた真実がある。
故にこういう映画に出会うと、身震いするような感動がある。だから映画はやめられない。
この映画が写し取ったのは、アメリカの悲鳴そのものかもしれない。
一級のプロファイラーだったFBI捜査官トム・マッケルウェイ(アーロン・エッカート)は、ある不当逮捕が元でニューメキシコの片田舎に左遷された。彼は、元同僚で恋人だったフラン(キャリー=アン・モス)とともに、州境で起こったある殺人事件の真犯人を追う。だが、真犯人は、新たな殺人を引き起こし、トムに名指しでメッセージを残し、挑発する。
サスペクト・ゼロ。特定の犯行パターンを残さず、捜査線上に決して上がらない容疑者。
それは一体誰だったのか。この映画のテーマであるその答えを、(結末を見届けさせながら)映画はあえて示さない。だが、光すら飲み込む人間のカオスこそが、サスペクト・ゼロを生み出す。そして、そこに答えはない。
ベン・キングスレーの見たものはその一端に過ぎない。人間の闇は深く、暗い。