虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「12人の優しい日本人」を久しぶりに見た。

toshi202004-07-08



 掲示板で文月7さんが教えてくだすったのでテレビで放映されたものを見てたんですが…いやあ、傑作だなあ。人間の汚さと愛らしさを共有した陪審員たちが無罪有罪の間で揺れる。それぞれに判決にこだわる理由のある人ない人、入り乱れて会議は踊る。
 絶妙な緩急、テンションの入り抜きの巧みさ、金がかかっておらずかつ的確なキャスト、見事な構図選びと編集。これは91年作だけど、三谷幸喜脚本の映画で、この作品を超えるものは未だない。

 この映画で会議が白熱するきっかけを作るのは優等生然とした真面目青年の、満場一致で「無罪」になりかけた場で意見を撤回して「有罪」に固執していく強情がきっかけ。
 だが、真実が明らかになるきっかけになるのは、気弱なじいさんの「無罪」への意外な強情だ。彼が理由を問われて言った言葉が「彼女がやったとは思えない。」

 侃々諤々の「理屈」の応酬を積み重ねて有罪という結論への反論を、じいさんは…


 「フィーリング…かなあ。」


 の一言で片づけるのだ。そしてその「フィーリング」って奴を頑なに守り続ける。この映画の最大の快感は、このじいさんのこの一言から全てが明らかになるからだ。

 そう。真実はフィーリング、それが生み出す違和感の中にある。大事なのはフィーリングを信じること。そしてそれをきちんと言語化すること。

 じいさんは結局そのフィーリングを言語化できないのだけれど、そこで寡黙な青年が助け船を出し、彼のフィーリングに引っかかった「何か」を探していく。


 そーだ。どんなに知識があっても、どんなに言葉を重ねても、最後にものを言うのは「違和感」なのだ。結局映画感想を自分が書いている理由なんてそんなものだ。フィーリングにひっかかったもやもやした「何か」を探しているに過ぎない。
 映画を見続けているのは、その「フィーリング」を常に刺激してくれるから、なのかもしれない。映画を見た後でふとそんなことをつらつら考えました。


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