虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ジェイソン・ボーン」

toshi202016-10-07


原題;Jason Bourne
監督 ポール・グリーングラス
脚本 ポール・グリーングラス/クリストファー・ラウズ
原作 ・キャラクター創造:ロバート・ラドラム



 その男は生きていた。自らの罪にのたうちながら。
 そして、僕らは待っていた。少なくともボクは待っていた。彼の帰還を。


 待ちきれなくて、うっかり台湾に行ってしまうほどに。


 おマットさんのカムバック。「ボーン・アルティメイタム」以来、ポール・グリーングラス監督と主演のマット・デイモンが、2012年の外伝となる「ボーン・レガシー」を挟んで登板した、ナンバリングとしては第5作となる「ボーン」シリーズ最新作である。

 最初にシリーズが始まったのは「ボーン・アイデンティティ」である。ボクはこの第1作を劇場で見ているが、最初見た時はそこまで惹かれたわけではない。「記憶をなくした男」が実は「暗殺者」であった、という物語自体はそれほど目新しいものではないし、アクション描写もいま思えば古くさいものであった。
 第1作のボーンは、なんというかまだ自身の能力を使いこなしていたわけではなく、その能力を「無意識に」使っているという段階で、しかも物語は出会った女性・マリーと一緒に暮らしてハッピーエンドという、良くも悪くもオーソドックスな娯楽作というイメージであった。

 しかし第2作「ボーン・スプレマシー」。ここで物語と演出に革新が起こる。スピード感とリアリズム溢れるアクションと、ドキュメンタリータッチのカメラワーク、すべての行動に「意味」を持たせる明晰な頭脳戦と、それを支える緻密な編集。無駄のないボーンの動きは、まさに「早歩きの精密機械」(命名:俺)である。この演出が、アクション映画というジャンルに新たな潮流を産んだと言っても過言ではない。


 「ジェイソン・ボーン」という「名前」と新たなる「人生」を経た「元暗殺者」の青年は、次第に過去の所行を思い出しては眠れない日々を過ごすようになる。新たなる「生」を得ても「過去」は彼を苦しめ、そして、過去は彼の愛する人・マリーを奪っていく。
 彼は自身の過去と向き合うため、彼を生んだ「トレッドストーン計画」の全貌に迫っていく事になる。
 ここに至って「ジェイソン・ボーン」は「明確な意志」を宿した「CIAの精密機械」として動き出すことになる。



 そして「ボーン・アルティメイタム」でいよいよ物語は核心へと至る。
 真相を求めて世界中を飛び回るボーンがやがてたどり着くのは、本丸・CIA本部である。アルバート・ハーシュ博士に銃を突きつけ、真相を迫る。
 しかし、博士の口から漏れたのは、彼の「元の人格」である「デイビッド・ウェッブ」がこのトレッドストーン計画に進んで参加したという事実であった。


 この第2作と第3作の監督を担当したのがポール・グリーングラス監督である。この2作の評判と人気は飛躍的に高く、今回の再登板はまさにファン待望なのである。


 「スプレマシー」の話自体はものすごく地味だ。そして彼が、向かった場所は、かつて「妻が夫を殺した」ように見せかけてボーンが殺したロシア高官夫妻の娘のところであった。このシーンはボクが好きな場面である。



 「キミはご両親の死の真相について、知る必要がある。」「ボクが殺した。」


 この言葉は、奇しくも本作で「ジェイソン・ボーン」に向けられた言葉となっていく。

 「ボーン」シリーズの革新は、彼は記憶を取り戻してもアインデンティティはあくまでも「ジェイソン・ボーン」という「新たな人格」のままな事である。
 すべてを思い出したら「元の人格」に戻るという話はよくある。だが、彼はデイビッド・ウェッブという「名」を取り戻した後も、「ジェイソン・ボーン」という心のままで、「デイビッド・ウェッブ」の罪で苦しみ続けている。生きる事と罪と向き合い苦しむことが、ニアイコールで結ばれたまま、安穏とした平和な生活から遠く離れて、世界を放浪し続けるボーンである。
 そんな彼がギリシャで賭けボクシングをしているところから物語は始まる。


 元・CIA職員・ニッキー・パーソンズジュリア・スタイルズ)がCIA本部にハッキングを仕掛け、「トレッド・ストーン計画」に関するファイルを盗み出す。しかし、その場に居合わせたヘザー・リー(アリシア・ヴィキャンデル)は彼女の盗んだファイルに「追跡用」の仕掛けをつけ、上層部にニッキー追跡及び、彼女が関わっていた「ジェイソン・ボーン」の確保の任務の指揮役をさせて欲しいと訴える。


 ボーン初期3部作にすべて登場するニッキー・パーソンズは、記憶を失う以前のボーン(つまり、デイビッド・ウェッブ)と恋人関係であったことが、公式設定として明かされており、「アルティメイタム」ではそれを匂わせるセリフもある。本作ではヨリを戻した描写こそないものの、連絡を取り合う程度には付き合いがあることが明かされる。
 デモによる暴動が起こっている最中のアテネで再会したニッキーとボーン。彼女の口から告げられたのは、CIAの分析官であったボーンの父親が実はトレッドストーン計画に深く関わっていたというものだった。
 やがて二人にCIAの追跡の手が伸びてくる。隠遁していたボーンが、再び「真実」を求めて動き出す。


 本作でもう1人。能動的に動く存在が、ヘザー・リーである。ハッキング事件の捜査でジェイソン・ボーンを追ううちに、野心的な彼女は今後のキャリアのために、ジェイソン・ボーンを再びCIAに引き戻せないかと考え始める。
 CIAの悪しき過去を暴いた存在としてボーンを消したいCIA長官・ロバート・デューイ(トミー・リー・ジョーンズ)と一線を引き、ヘザー・リーは次第にボーンに協力をしていくようになる。



 面白いのは、逃げ続けていたボーンは世界情勢やアップデートされ続けるガジェットへの対応が出来ていない。かつて「早歩きの精密機械」と呼ばれた(いや、勝手に呼んでるの俺だけど)、ボーンはアップデートされてないOSを積んだ古いコンピューターのようなものである。だから今回のボーンはアクション自体はちょっと「雑」だ。そこを埋めるのが彼を利用しようとするヘザー・リーという事である。この辺は2人の「初コンタクト」のシーンに象徴される。フィーチャーフォンスマートフォン。新旧の頭脳が出会い、利害だけでつながるというドライさが、このコンビの新しさだ。
 この辺のリアリズムのさじ加減は見事である。



 本作の難しいところは、「デイビッド・ウェッブ」という過去の人生を持ちながら、あらたな「ジェイソン・ボーン」という人格と人生を得た男が、長い年月を経て「デイビッド・ウェッブ」の人格に引っ張られているということである。ある種の分裂である。そして、過去の人生に再び追いつかれる。
 「ジェイソン・ボーン」と「デイビッド・ウェッブ」。本作で彼らの境はいよいよ曖昧になっていく。本作は「デイビッド・ウェッブ」としての「落とし前」の話になっていく。
 そこにヘザー・リーとデューイ長官の、CIAの世代間対立、そしてCIAの「計画」の落とし子である工作員と元工作員の過去の因縁が絡む。前作のようなシンプルに過去を追う物語にはならないところが、難しいところである。


 ボーンを再びCIAに引き戻し、利用しようするCIA側は「ジェイソン・ボーン」の中にある「デイビッド・ウェッブ」の価値観に問いかける。再び、戻らないか?と。あなたは「愛国者」だっただろう?と。それは、ハーシュ博士の「見立て」た「彼」への問いかけである。
 それに対して「考えておく」とだけ言い残して、ボーンは去る。


 だが、彼はある行動で意志を示す。
 俺の名は「ジェイソン・ボーン」。だが「デイビッド・ウェッブ」の影ではないと。過去に追いかけられ続ける人生。しかし、それでも俺は新たな人生を生きていく。それでも、過去が切り離せないなら、いっそ相対して生きていく。力強い歩みは覚悟を孕んでいる。
 「スプレマシー」「アルティメイタム」ほどの傑作とは言いがたいが、ジェイソン・ボーンの「復帰戦」、新たなる新章としては、まずは重畳の滑り出しである。大好き。(★★★★)