虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ONE PIECE FILM GOLD」

toshi202016-08-16

監督:宮元宏彰
原作・総合プロデューサー:尾田栄一郎
脚本:黒岩勉




 「逆転裁判」というゲームがある。最近アニメ化もされ、知名度も格段に上がったので知らない人は大分少なくなったように思う。


 改めて説明すると、「逆転裁判」というゲームは新人弁護士・成歩堂龍一が、裁判で何度も逆境を経験しながらそれをはねのけて、依頼人の無実を晴らしていくというゲームである。
 ボクはGBA版から連綿とシリーズ、及びスピンオフを遊んできた生粋のシリーズファンで、今年発売された最新作「逆転裁判6」も当然速攻で購入しプレイ、クリアしている。


 「逆転裁判」というのは、実は時間軸が「実際の日本」とは微妙に異なる世界にある。これはリアルな司法制度の世界では、簡単には「無実の依頼人」というのが現れないため、「無実の罪で逮捕され有罪にされる可能性」を高める世界観になっているのである。
 それがこの世界にある「オリジナル司法制度」、「序審法廷制度」という。内容を一言で言うと「犯罪者多くってさっさと裁判を片付けないと裁判が終わらないから、3日で判決を出して円滑に裁判回していこうぜ!」という制度である。


 この「時間の区切り」が「警察の誤認逮捕」「検察のひとり勝ちしやすさ」「無実の人間を精査する時間のなさ」を生み出しつつ、主人公が「無実の依頼人」と出会う確率を上げて「ゲーム中の裁判がスピーディーに展開する」というゲームの面白さに寄与するという、一石二鳥のアイデアだったのである。
 だから弁護士は常に逆境に置かれ、一方検事の方は「25年間無敗」とか言う、よく考えたらメチャクチャな存在がいたりするのである。


 つまり、「逆転裁判」シリーズとは、痛快無比の裁判ゲームでありながら、同時に「序審法廷制度」という存在をキーにした「ディストピアゲーム」でもあるのだ。


 そしてこの「序審法廷システム」で戦い続けるいわゆる「成歩堂龍一三部作」と言われる「1」「2」「3」はファンの中でも「歴史に残る傑作」として記憶されている。
 だが、この「序審法廷システム」をどう破壊していくか、というテーマに立たされたのが、新主人公、王泥喜法介が登場して以降の「4」「5」「6」の新三部作ということになる。
 とくに「4」以降の迷走は「ディストピア設定」を壊していくことが求められたが故の苦闘の後がにじみ出ていると言ってもよく、再登場した成歩堂龍一が無駄に存在感がありすぎるため、主人公禅譲がスムーズに行かない事も手伝って相当に苦闘することになる。
 つまり「ディストピア」であることが「ゲームの説得力」と不可分だったシリーズが、それを変えようとする物語が付随する難しさと煮え切らなさがどうしてもつきまとうわけである。


 しかし。最新作「逆転裁判6」ではその「ディストピア性」がより深くなって大復活することになる。
 そこにあるのは逆転の発想である。「日本がディストピアでなくなったのなら、架空の外国になるほどくんを行かせ、そこを弁護士にとってのディストピアにしちゃえばいいじゃない!」ということである
 成歩堂龍一が行った国は「クライン王国」。「成歩堂龍一3部作」でパートナーを務めた霊媒師・綾里真宵が行う、倉院流霊媒術発祥の国でありながら、「裁判において弁護に立った者は死刑」という、「弁護罪」なる罪が法制化されてしまった国なのである。
 そんな国で「弁護士」として弁護に立つことになってしまった成歩堂龍一の物語!ということになる。


 ディストピアだからこそ「逆転」はより快感となるということである。そして、成歩堂くんたちは「ディストピア」である「国家」で最高の逆転を引き起こすことになる。





 さて、前振りが長くなりました。「ONE PIECE FILM GOLD」である。超人気漫画「ONE PIECE」劇場版としては13作目であり、原作者・尾田栄一郎が総合プロデュースする「ONE PIECE FILM」シリーズの3作目。



 この物語の舞台は、国家として認められたギャンブルとエンターテイメント施設を満載した巨大船「グラン・テゾーロ」。そこを支配しているのはギルド・テゾーロ(山路和弘)という男。カジノ王と呼ばれ、全世界の20%もの金を所有し、世界政府すら金の力で意のままにする事ができるほどの財力を持ちながら、同時に毎晩「グラン・テゾーロ」で舞台に立つ人気エンターテイナーとしての顔も持つ。そして「悪魔の実」の「ゴルゴルの実」の能力者でもある。
 そんな船に乗り込み、ギャンブルと娯楽を堪能していたモンキー・D・ルフィ率いる「麦わらの一味」一行は、ギルド・テゾーロに見込まれ、破格のギャンブルを仕掛けられることになる。


 舞台となるのが「ギャンブル」と「エンターテイメント」という「きらびやかな光」の側面を映画序盤でたっぷり見せつつ、実はそんな「国家」にも「まばゆい光」ゆえの「深い闇」が存在することがわかってくる。
 ギャンブルに負けた者達は全員、テゾーロの奴隷となり、船を出る事はかなわない。人間扱いすらされない。そこで育った少年達は「反抗したって無駄なんだ」と諦観を漂わせてさえいる。
 そんな「グラン・テゾーロ」で仲間の剣士であるゾロを捕らえられたルフィー達は、彼らを取り戻し、テゾーロ一味に支配されたこの「国」をひっくり返すために、この国に眠る「宝」を奪うために潜入していたナミの旧友で女泥棒のカリーナ(満島ひかり)とともに、反攻作戦を実行に移すのであった。



 大富豪であり、国家の主であり、エンターティナーでもあるギルド・テゾーロの口癖は「エンターテイメント」である。彼は「反攻」する人間を泳がせながら、その反攻作戦を公の場で屈服させる様を娯楽として観衆に供する、という趣味がある。これは「反攻しても無駄である」というメッセージを「被支配層」に叩きつける意味合いもある。


 だが、その公開された「反攻」がもしも成功してしまったならば。エンターテイメントは「反攻」の方となる。



 つまり、「革命」だ。





 世間から飛び出し、世界をかき回す「愚連隊」が、ふらっとやって来た「国」のかたちをまるごとぶっつぶす。時代劇から「カリオストロの城」から何から、最高の「娯楽」とはいつだって「ディストピアをぶっつぶす革命」だった!


 「ONE PIECE FILM GOLD」はそんな本来あるべき「娯楽の快楽」に忠実な映画である。悪辣な王にも哀しい過去はある。だが、テゾーロはそんな過去を振り払い、「金に執着し、支配欲にどこまでも忠実な、悪の権化」に墜ちてしまっている。この映画において、テゾーロはどこまでも最強で、そして悪辣な存在として君臨し続ける。
 ルフィはそいつをぶっ倒すまでひたすら能力のすべてを王にぶつけるのである。



 ルフィの背中はやがて、疲れ切った大人達を、諦めに満ちた子供たちを高らかに鼓舞し、やがて「グラン・テゾーロ」という「国」は崩壊へと向かう。


 暗闇の中で、それでも拳を挙げねばならない。反攻こそ、革命こそが最高のエンターテイメントだ!そう高らかに歌い上げるアニメーション映画が、この超人気シリーズの最新作である事は大変に痛快だと俺は思う。
 シリーズ屈指のエンターテイメント快作である。大好き。(★★★★☆)