虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「64-ロクヨン-」前後編

toshi202016-06-27

原作:横山秀夫
監督:瀬々敬久
脚本:久松真一/瀬々敬久


 横山秀夫のD県県警シリーズ最大ヒット作「64」の映画化。



 D県県警の広報官・三上義信(佐藤浩市)は失踪した娘を探し続けている。娘は自分の顔が嫌いだと言っていた。三上の、その刑事のような目で見られるのが怖いとも。娘が蒸発してから、妻・美那子(夏川結衣)は娘からの電話を待ち続けている。ある日、無言電話がかかってきた。美那子は娘からの電話からだと信じている。三上が出て娘に呼びかけると電話は切れた。
 三上は仕事上でもトラブルを抱えていた。ある交通事故で加害者の実名公表を控えた事で、記者クラブの記者達が反発。記者クラブを仕切っている東洋新聞記者・秋川(瑛太)が抗議文を出そうとしたのを止めようとした際、不可抗力で抗議文を破ってしまったことで、記者クラブは広報室との関係を遮断。ボイコットを始めてしまった。


 三上は元刑事である。彼の中にはある一つの事件が心の中に残って離れない。それはD県で昭和最後に起こった誘拐事件。通称「ロクヨン」と呼ばれる事件だった。漬け物会社社長・甘宮(永瀬正敏)の娘が誘拐された。県警は全力で事件解決に乗り出したが、様々な不手際が重なり、むざむざ身代金を奪われた挙げ句に犯人には逃げられ、娘は遺体となって発見された。その傷は捜査関係者の中に残り、人生を狂わせた者も出た。三上も未だその傷を抱えた1人である。
 そして、そんな三上の前に再び復活する「ロクヨン」。その事件を模倣した誘拐事件が再びD県を襲うことになる。

 県警の一広報官・三上の目線から、昭和64年の事件で傷を負った人々、三上率いる広報課とマスコミ記者との確執を経て、やがて平成14年に再び甦ったロクヨン模倣事件とその顛末を描いた大作である。


 さて。

 このロクヨン。一度映像化されている。ピエール瀧主演のNHKドラマ版「64」である。そういう意味ではこの映画版は再映像化になるのであるが、話の本筋は大きく変わらない。それでも、それでも十分に引きつけられる面白さで、ドラマ版、映画版前後編ともに完走してしまった。
 「64」という小説は、落語で言うところの「古典」の風格すら漂わせるほどの傑作である。つまり語り手が変わろうとも、何度味わっても面白いという事でもある。


 ではドラマ版と映画版の違いとはなにか。それは演出する側のアプローチの違いである。

「64-ロクヨン-」前編

 映画版前編は、昭和64年に起きた「ロクヨン」事件の顛末から、県警の隠蔽体質、記者クラブボイコット事件、そして平成の「ロクヨン模倣事件」勃発までを描いている。


 ドラマ版「64」の広報官・三上はかつては刑事だったが、今は広報官という警察にとっての「裏方」仕事を行う警察官という立場であり、地味だが重要な仕事をこなしている訳で、そういう「お仕事」ドラマとしての側面の「リアリズム」をより重視したアプローチになっている。
 だから、ピエール瀧佐藤浩市ほどの「華」はないのだが、その分裏方として揉め事が絶えない記者たちとの関係の中で、県警の顔としての立場を模索し続ける「反骨の心を持った実直な男」としての側面をリアルに体現してもいる。


 映画版はどうか、というと、とにかく佐藤浩市という、華のある役者を主演に据えたことで、裏方ではあるが「元刑事」としての顔がより濃厚な映画となっている。もちろん映画版の三上が裏方として実直なのは間違いないのだが、佐藤浩市はたとえば記者会見のシーンでサポート側に回った時に、会見の「主役」である捜査関係者よりも「かっこいい」ため、どうしても目立ってしまうという欠点がある。広報室の部下である諏訪(綾野剛)や美雲(榮倉奈々)なんかもそうなんだけど、キャストに華があるとこういう事態になりがちである。
 しかしまあ、「実名報道か匿名報道か」で記者クラブと揉めに揉め、その解決の為に再び記者達と対峙する三上は、まるで熱血教師のように場を支配する。その面白さが映画版前編のクライマックスであり、そのシーンは映画ならではの見せ場になっていたようにも思う。ロクヨン事件被害者を演じた永瀬正敏の熱演も相まって、このなんだかんだと向かない裏方に一生懸命徹した三上を押し出した「前編」は非常に面白い。

「64-ロクヨン-」後編


 そして後編。裏方には向かない「跳ねっ返りの元刑事」が、ロクヨン事件の真犯人と対峙することになる映画版独自の展開は、「佐藤浩市」というキャスティングに対するアテ書きのような脚色となっている。
 しかし、個人的な考えを言えば、「64-ロクヨン-」の白眉はあくまでも「裏方」である広報官の目線で、事件の全体像が明かされていく面白さにあると思っている。
 ひとつの事件に翻弄された刑事であり、1人娘の不在に苦しみ続ける父親でもある広報官・三上は「ヒーロー」ではない。裏方の一プロフェッショナルである。だからNHKドラマ版の方が「64」のアプローチとしては非常に真っ当であると言わざるを得ない。映画版「後編」はその面白さを追求しきったとは言えなかった。
 特に、後編で大きくクローズアップされるべき、ロクヨン模倣事件における記者会見での県警と新聞各社の対立、通称「記者会見千本ノック」の描写はNHKドラマ版に比べても非常に淡泊で、この「三上が裏方として屈辱に耐える」場面がねちっこく描かれればこそ、その後の「模倣事件解決」と、事件の「意外な真実」へと至る展開のカタルシスが倍増するのであるから、この点は誠に残念であったと思う。
 映画版は「裏方」であり続けることを放棄し、三上を「元刑事」としての顔が前面に出ることで「ヒーロー然」とした存在とした描き方になってしまった事で、映画自体が「画竜点睛を欠く」かのような形になってしまったように感じたのである。


 そういう意味では前編は「なかなか面白い」、後半は「つまらなくはないけど失速」という気持ちになってしまう。「昭和最後の事件」を描いた「平成の古典」の映画化としてはやや「華のある主演俳優」に話を寄せすぎてしまったかな?と思った。もう少し「裏方」としての「三上」の存在を、「後編」でも貫けていれば、映画版独自の味を出せて至ろうに!と思うだけに残念。「全体的な演出は良かっただけに惜しい」というのが本音である。(★★★)


64(ロクヨン) 上 (文春文庫)

64(ロクヨン) 上 (文春文庫)

64(ロクヨン) 下 (文春文庫)

64(ロクヨン) 下 (文春文庫)