虚馬ダイアリー

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ナレ死と呪い。

toshi202016-04-09




 今年に入ってからNHKドラマが絶好調である。


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 「ちりとてちん」「平清盛」でNHKドラマクラスタから圧倒的支持を得、ついに本作で向田邦子賞を獲得した脚本家・藤本有紀の新作ドラマ「ちかえもん」を始め、去年末から放映して「五代ロス」などの話題を振りまいた朝の連続テレビ小説(以下「朝ドラ」)「あさが来た」、真田家の戦国サバイバルぶりに話題沸騰の三谷幸喜大河ドラマ2作目「真田丸」など、とにかくNHKドラマファンには、嬉しい悲鳴の連続である。そしてこの4月からは映画・ドラマからアニメまで話題作を手がける西田征史氏の脚本による朝ドラ「とと姉ちゃん」が始まっている。
 当然のことながら、私も仕事とかぶらない日曜8時には家に帰り、朝は朝ドラのBS前倒し放送と本放送を2回見るほどにテレビの前にかぶりつきで、実況用アカウントで実況をするほどにハマりまくっているのである。



 さて、そんなNHKドラマクラスタたちにとって、今年に入ってから流行し、今や当たり前のように定着している言葉がある。それが「ナレ死」である。
 言葉の定義としては「劇中の登場人物の死を直接描写せず、ナレーションによって視聴者に伝える技法。」ことである。

 「ナレ死」に至る現在3つの系統に分かれる。それをドラマ別に紹介したい。

物語上その死を触れておく必要はあるが、ドラマとしては時間を割く必要が無い場合。「真田丸

真田丸 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

真田丸 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

 そもそも「ナレ死」が最初に熱い話題になったのは大河ドラマ真田丸」です。

 有働由美子アナウンサーが担当するナレーションだけで歴史上では重要人物の死が伝えられる事で、Twitter上が騒然となったのです。武田家を裏切った「穴山梅雪」が神君伊賀越えの際に、家康と袂を分かった後行方知れずになった事を伝えるのはまあいいとして、「織田信長」「織田信忠」「明智光秀」などの名だたる人物達の死が、そのシーンすら時間を割かずに有働アナの「死んだ。」の一言で片付けられる事で、「有働アナ最強説」まで出るほど。一時は「次に有働アナの『ナレ死』の餌食になるのは誰だ?」というのが大きな話題になるほどでした。

 歴史上有名人物の死というのは誰でも知ってることであるし、その死によって「真田家の戦国サバイバル」という物語世界に影響が出てくるから触れざるを得ないが、ドラマとしてそこまで時間を掛けるわけにはいかない、という三谷幸喜独特の割り切りによって、有働アナによる「ナレ死」の応酬となったわけであります。


 そのナレ死が最も効果的に使われたのが第5話「窮地」。
 信長の死は歴史上の重大事件であるし、現代にいる我々には「すでに起こった事」として認識されているが、当時の人はまさか飛ぶ鳥を落とす勢いの信長が死んだことなど、知るよしもない。テレビもネットも電話も新聞もない戦国時代である。その情報を得るまでにはそれぞれの人物によってタイムラグがある。
 「ナレ死」で視聴者に信長の死を伝え、その上で登場人物がどのタイミングで「信長の死」を知り、そしてその情報によってそれぞれに「決断」を迫られていく様を描いた。徳川家康は「伊賀越え」を決断し、真田信繁は姉とともに上田へ引き返し、真田昌幸はその情報を元に、大大名との「外交」を巡る国衆たちとの交渉を有利に進めていく。


 このように時に「ナレ死」すら物語を効果的に進めていくための技法として使ってみせる三谷幸喜のテクニックに舌を巻いた回でありました。

登場人物を演じる俳優のスケジュールが押さえられなかった場合。「あさが来た」


 江戸時代から明治時代を駆け抜けた女傑・広岡浅子の生涯を下敷きにした、朝ドラにしては珍しい明治期の人々を描いた話であり、30年以上の時代を描く為、当然ながら後半になるほどに登場人物の何人かは死と直面することになる。
 この朝ドラでひとつ大きな誤算があったのは、ヒロイン・あさのビジネス上の導き手となったディーン・フジオカ演じる実在の人物・五代友厚が、視聴者の間で人気を博してしまったことにある。五代友厚は49歳で糖尿病で死去するという歴史的事実から劇中で亡くなりドラマから退場することになるのだが、それによって五代の退場を寂しがる「五代ロス」の視聴者が現れたことで、スタッフは急遽「五代友厚再登場週」を設けるために、ヒロイン・あさが刺されて死線をさまよう中で、亡くなった五代をはじめ、義父や祖父と再会するという流れを作るのである。

 その結果、スケジュールが押してしまい、終盤、物語上重要な広岡浅子の偉業がばたばたした形で描かれていくことになるのだが、さらなる問題は、この後ドラマ上で死ぬ予定の登場人物を演じる俳優たちのスケジュールを、明らかに押さえることに失敗した形で、登場人物が「ナレ死」が頻発したことである。
 特に象徴的だったのは、ヒロイン・あさとその姉・はつを序盤で暖かく見守り、大きな存在感を示した母親・今井梨江の死が「ナレ死」だった事である。これは明らかに彼女を演じた「寺島しのぶ」のスケジュールを押さえることに失敗したということである。予定より押しこまれるということはこういう弊害も出てくるわけで、重要人物であろうとも「ナレ死」せざるを得ないということになる事も、ままあるということです。

登場人物の、死の場面よりも重要な「この世への未練と呪い」を描く場合。「とと姉ちゃん

連続テレビ小説 とと姉ちゃん Part1 (NHKドラマ・ガイド)

連続テレビ小説 とと姉ちゃん Part1 (NHKドラマ・ガイド)

 さて、今月から始まった「とと姉ちゃん」である。

 
 とと姉ちゃんの「とと」とは何か、というと「父親」の事である。「死んだ父親代わりに家族を支えるために奮闘する長女」であるヒロイン・小橋常子(高畑充希)が奮闘するドラマなのであるが、その「とと姉ちゃん」と呼ばれるまでの軌跡を描いた常子の幼少期編である第1週にも「ナレ死」が登場する。当然の事ながら、「父親」竹蔵(西島秀俊)である。


 このドラマで面白かったのは基本的には劇中で描かれるのは、家訓を守り仲良く幸せな家族の「楽しい日常」である。父親のモットーは「一日一日の生活こそがかけがえのないもの」だから「日常を大切に生きる」という事で、それを体現したような描写が続く。しかしその中で少しずつ竹蔵に「死の影」を伝えるのが「ナレーション」であるというのが、このドラマの特異なところ。竹蔵は結核によって少しずつ体調を悪化させていき、やがて、第1週の第5話で「ナレ死」する。

 その「ナレ死」直前。死の3日前。常子に対し、竹蔵は襖ごしにあるお願いをする。それが「ととの代わりになって欲しい」というものだった。

 竹蔵はいぶかる常子に対して続ける。
 「こんな事を頼んですまないね。でも、君たち3人とかか(注:妻・君子)を遺して逝くのが無念でね。心配なんだ。この世の中で女4人を生きていく困難を思うと。だから約束してくれないかい?ととの代わりを務めると。」


 確かに一理あるようにも思う。だが、ここで重要なのは家族に対して常に穏やかで暖かかった父親が見せる、死なねばならぬことへの悔いと、「新しいととを見つけてくれ」とは言えない、ある種のエゴである。常子に「ととの代わり」をしてくれという事は、竹蔵を喪った君子に新しい「夫」を見つけるという選択肢を持たせたくない「未練」であり、この世に自らの存在を常子に遺す「呪い」である。
 常子は約束し、ととの代わりを務めると家族の前で宣言することになる。


 「ナレ死」という技法を使って、ヒロインと視聴者に父親のこの世への「未練」と「呪い」を刻みつけた。そういう意味で、この「ナレ死」の使い方として長く記憶されるべきテクニックと言えましょう。
 これを踏まえたうえで、ヒロインはどういう人生を劇中で生きていくのか。期待して見守りたいと思います。