虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「完全なるチェックメイト」

toshi202015-12-25

原題:Pawn Sacrifice
監督:エドワード・ズウィック
脚本:スティーヴン・ナイト



 この映画はどういう映画かというと、実在した「歴史に名を残すほどチェスのうまい人」についての映画である(ざっくりしすぎだ)。
 その「超チェスのうまい人」の名前はボビー・フィッシャーという。チェスファンで知らない者はいない伝説のマスターにして、数奇な人生を歩んだ奇人でもある。


マグネチック キング チェス

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 しかし・・・チェスかあ。チェスなあ。
 もうとりあえず自分の中では「頭のキレるIQの高い人がたしなんでいる」とか、なんか「俺は頭がいい」という自意識の高いやつが調子に乗って「チェックメイト」って言葉を使いたがるとか、なんかそういうザックリした貧困なイメージしかないわけである。


 そういう人間がいきなり見始めて、最後には「うおおお・・・マジかよすげえ」というくらいに認識できるくらいにはわかりやすい映画にして見せたエドワード・ズヴィック監督の演出は見事である。
 まーわたくしなんぞは、自分でやろうなんてことは及びもつかないわけであるが、しかし基本的な駒の動かし方くらいは知っておいた方が多分少しは面白い映画にはなってるんだろうと思うので、できれば下のリンクでざっくりとした基礎知識をたたきこんでおくと、より楽しめる映画ではあるでしょう。


【参考リンク】
チェス入門


 原題の「Pawn Sacrifice」の意味はPawn(兵隊の駒)を Sacrifice(犠牲)にするという、言わばチェスにおける「ある駒を犠牲にして局面を優位にする作戦」の「サクリファイス」になぞらえている。

 この映画はボビー・フィッシャートビー・マグワイア)の生い立ちからさかのぼって描いている。チェスプレイヤーにしてはめずらしく、彼は裕福な家の生まれではない。母親のレジーナはイリノイ州シカゴでボビーを生んだが、彼女はそのときすでに離婚しており、父親のハンスはモスクワに招聘された生物学者であるが、招聘されて以後アメリカに足を踏み入れていない。よってボビーは父親の顔を知らず、母親ひとりで姉・ジョーンとボビーを育てていた。
 母・レジーナはモスクワの大学で薬学を専攻し、そこでハンスと知り合うのだが、それほどまでにインテリでなおかつ6カ国語を話すことが出来、なおかつソ連に住んでいた経歴があることから、FBIにスパイの疑いをかけられ、フィッシャー家は常に監視の対象にされていた。そのことを母親は常にボビーに言い聞かせ、怪しい車が来たらすぐ言うように指導していた事から、子供心にアメリカという国自体が巨大な恐怖の対象として刷り込まれていく。
 そんな恐れを抱いていたことからボビー少年は落ち着きがなく、夜もなかなか眠れなかった為に、姉のジョーンは彼に「チェスセット」を買い与える。すると彼は夜な夜なそれに取り付かれるように夢中になっていく。それと比例するように彼は非社交的な性格になっていく。
 母親は彼を精神科医に診せたところ、そりゃチェスの達人にコテンパンにしてもらってやめさせりゃいいんじゃね?と言われて、幼いボビーはニューヨークで25番目に強い人と対戦し、人生初の敗北を喫する。だが、彼はチェスを止めるどころか、ますます熱を帯びてチェスの道へとまい進することになる。


 14歳でインターナショナル・マスター、15歳でグランド・マスターという、言わば国際チェス連盟から「すごくつおい」と認められる称号を最年少で奪取。彼は世界チャンピオンを視野に入れ、当時の世界チャンピオンである、ソ連のボリス・スパスキー(リーヴ・シュレイバー)を倒すために日夜イメージトレーニングを欠かさなかった。その為には、静寂の中で集中しなければならない。その環境を作るために、母親とその恋人を自宅から追い出し、いよいよ彼はチェスの為に全知力と全精力を傾ける生活を始める。
 コミュニケーション経験の不足の反動から、彼は気まぐれで傲慢で被害妄想が強く、そして常になにかにおびえていた。音を異様に気にし、盗聴を恐れ、監視されているという脅迫観念から逃れる事ができなかった。それは彼が大人になっても解消されることはなかった。
 チェスにのめりこめばのめりこむほどに、ボビーは精神を病んでいく。それは彼の生涯逃れられぬ業となった。


 当時、チェス界はソ連勢が圧倒的な強さで席巻しており、その代表格が長く世界チャンピオンの座に君臨するボリス・スパスキーである。スパスキーはソ連の人間だが、共産党員でもないし、自由主義的な文化を愛する男で、物腰も実に紳士的である。ゆえに、それがまさに王者の風格を漂わせてさえいる。ただ、アメリカでの行動には常に監視がつくのと、盗聴がデフォルトなのは辟易としている。


 一方のボビー・フィッシャーは、待遇を良くしろ!ホテルがだめだ!ソ連側はズルしてる!と、被害妄想は大きいくせに要求は過大で、関係者を常に振り回していた。宗教では過激なキリスト教福音派に傾倒し、政治的にも過激な言動を繰り返し、反共産、反ユダヤの発言を繰り返している。
 そんな彼を、引退騒ぎ後の復帰戦以降、辛抱強くサポートしたのは、弁護士のポール・マーシャル(マイケル・スタールバーグ)と、チェスのマスターにして神父という異色の経歴を持つセコンド役*1ウィリアム・ロンバーディ(ピーター・サースガード)であった。カリフォルニアでスパスキーにコテンパンにされたボビーは再び再戦するために、世界チャンピオン奪取に向けて動き出した。世界の並み居る強豪を打ち倒し、前世界チャンピオン、チグラン・ペトロシアンをも撃破。その頃にはアメリカでのボビーの人気も一気に加熱。
 そして1972年、ついにリベンジをするチャンスが訪れた。レイキャビクでの世界選手権で再びスパスキーとの対戦する運びとなる。

 ソ連勢に長く独占され続けたチェスチャンピオンの座を、アメリカ、及び西側世界に取り戻す。冷戦下に置いて、それはアメリカの悲願であり、ボビーはそれを成し遂げる事の出来る唯一の男である。この世界選手権は、言わば冷戦下における東西代理戦争の様相を呈してくる。
 だが、1ゲームに銀河の星の数ほどの打ち筋と対峙するボビーは、勝ち続けるたびに精神が崩れていく。その事にロンバーディ神父は気づいていた。だが、精神科医に診せることをロンバーディはしなかった。なぜなら、医者が処方する薬によって、ボビーの力の源である「狂気」が失われたならば、スパスキーには勝てない。それは「セコンド」として、そして同じチェスを愛する友としての非情な決断であった。だが、ボビーの問題行動は酷くなり、様々な無茶な要求を言いつのった挙げ句、ついには会場のあるアイスランド行きの飛行機に搭乗せずに逃亡してしまう。
 彼をアイスランドに引き戻したのは一人の男が、一人の「金持ち」がボビーの条件を呑んだからだった。その男は「キッシンジャー」と名乗った。何を隠そう、ニクソン大統領の補佐官ヘンリー・キッシンジャーである。もはや、国の期待を背負って戦わざるを得ないボビー。彼はプレイすると即答し、ついにスパスキーとの一対一の戦いへ赴くのである。


 戦いが始まる。しかし、彼が欲したのは、「チェスの魔」へと足を踏み入れるための集中力であった。必要なのは「静寂」。


 無数の手の中からただ一つの道がある。それこそが、ボビーの求める「絶対王者」スパスキーを完膚なきまでに叩きのめす「真実の道」。だがソレを渡るには、あらゆる定石は通用しない。巨大な谷を細い糸で渡るがごときその一歩。つまり、捨て身の「新手」しか、スパスキーに勝てない。そして、かれはついに、深い谷に懸かった、誰も渡った事の無いか細い糸へと足を踏み出していく。


 この映画が描き出す、チェスの「真実」は決して甘い物では無い。まさに極限の綱渡りに身を投じた男の、「狂気」がなしえた、「完全なるチェス」。「神の一手」と称される、その一局へと至るまでのその、長い旅路とその顛末は、ただひとつの「正解」へとたどり着いた恍惚と、底なしのチェスの魔の恐ろしさの一端を観客に見せつけるのである。大好き。(★★★★)

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*1:簡単に言えば、ボビーを常にチェスに集中させるためのサポート役である。