虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ソロモンの偽証」前編・事件/後篇・裁判

toshi202015-04-23

監督;成島出
原作:宮部みゆき
脚本:真辺克彦


ソロモンの偽証: 第I部 事件 上巻 (新潮文庫)

ソロモンの偽証: 第I部 事件 上巻 (新潮文庫)


 宮部みゆきの10年にわたって書かれた渾身の大作ミステリを映像化した作品。テーマは子供たちが真実を追うために「学校内裁判」を行うということで、成島監督は1万人規模の大オーディションの結果個性的な子役たちを鍛え上げながら、「彼ら」の肩に映画のすべてを託したわけです。


 いやあ・・・これはなんともねえ。面白いものを見させてもらった、という感じが強い。



 クリスマスの日にある中学校の校内で見つかった一人の生徒の死体。その事件は自殺として処理されるはずだったが、匿名で一通の告発状がマスコミに届けられたことで報道は過熱し、学校は混乱。そして、その騒動の中で新たな死者が出てしまう。まるでドミノ倒しのように事件が連鎖して起きてしまう。刑事の娘であり、死体の第一発見者となった藤野涼子藤野涼子*1)は直撃してきたテレビ番組のディレクターに自らの手で真実を見つけるために、学校内で裁判を始めることを宣言する。

「前篇・事件」


 さて。
 本作は、非常に長大な話ゆえに、前編と後篇に分かれた上映形式になっていて、昨今ではさほど珍しくないんだけど、この作品自体はやはり1本の映画として通して見たほうがエモーションが途切れなくていいと思うんだな。面白かったのは、前篇がわりときちんとした「ミステリ」としての形式をきちんと踏襲していて、「事件」に巻き込まれ、または自ら巻き込まれていく少年少女たちの、オトナたちからは決して見えない「地獄」の風景を描いていて、それが「学校内裁判」へと至る推進力となっていくわけだけど。
 この前篇では、子供たちと彼らの周囲の大人たちの目線が入り混じる形で、事件とその後起こった騒動を追っていくわけだけど、大人の見ている風景と子供たちが見ている風景がどこまでも交わらない感じが絶妙で、より子供たちが抱える孤独感が際立つ仕掛けになっている。オトナたちは自分の子供を「見たいようにしか見ない」けれど、子供たちが抱える自我はとっくに複雑で混沌としていて、見ている風景はまるで「戦場」だ。だからこそオトナたちが差し伸べる手からすり抜けるように、子供たちは自分を、そして他者を傷つけようとしてしまう。
 藤野涼子という女の子が、学校内裁判という着想を得るのは、これ以上同級生を無為に失わないための、最後の手段なのである。告発されたいじめの先頭にいた不良少年、いじめられていた復讐のために匿名の告発を行う女の子、そして他校からこの裁判に関わる謎の少年。さまざまな少年少女が思い思いにかかわるこの「事件」。その真実に涼子たちはたどり着けるのか・・・・というところで終わる。


そして物語は後篇へと続く。

後篇・裁判


 前篇において子供たちの孤独を浮き彫りにするための大人の目線は大きく後退し、いよいよ中学生たちがドラマの中心となり、「学校内裁判」へと向かっていく。この裁判にかかわる中学生たちは裁判をよりリアルにするために、本格的に事件の証言をしてくれる証言者、事件を把握するための証拠あつめに奔走することになるのだが。
 前篇と比較すると子役たちがドラマの中心となることで、画面の求心力は前篇のときに比べて、クオリティが一段下がっている感は正直否めない。ここはオーディションによって選ばれた演技未経験者を含む子役たちの巧拙の問題になってはくるのだが。その点に関しては芸達者がそろう大人の役者たちが一歩引いたことによる明らかな弊害ではある。
 ただ。それでもなお、成島監督があえて、「この子達」に映画のすべてを託してみせた意図が後篇のクライマックスである、「学校内裁判」にあることは明白である。ここで、映画にマイナス要素であり続けるかと思った子役たちの「危うさ」が一転、ゆらぎながら危なっかしく進行する、中学生による「手作り裁判ごっこ」の「リアル」へと裏返っていく。この鮮やかな逆転を見て、僕は「そうか・・・これがやりたかったのか!」と非常に得心がいった。


 この映画の裁判シーンについて、子役たちの拙さを「学芸会」と揶揄する感想もいくつか見たのだが、僕は逆に学校の古い体育館で行われるこの危なっかしく拙い、だが、子供たちの本気が詰まった裁判のシーンに不思議と魅せられていた。この裁判シーンは間違いなく、この作品が本当に「映画」になったように感じた。
 子供たちの本気に呼応するようにオトナたちが、本気でこの裁判に関わっていく姿もちょっと胸がすく思いをこられきれない。この「学校内裁判」は見た目は「裁判ごっこ」である。だが、彼らの真実へと向き合う情熱は、まぎれもなく「本気」だ。そしてその「本気」がオトナたちを、そして物語とも共鳴し始める。物語が再びドライブし始める。

 僕は一観客として、というより、はらはらしながら裁判の行方を見守る「傍聴人」になっていた。


 子供たちが自らの意思で裁判を行う。そして事件から目をそらさず本気で真実を白日の下へと引っ張り出すまでをリアルに徹して描いてみせたこの映画は、非常に挑戦的で、そして実験的な映画でもあったのだ。この映画は「傑作」というにはいろいろ瑕瑾のある映画だとは思うのだけれど、それでも最後まで「本気」の「裁判ごっこ」を貫いた子役たちの本気の顔に、僕は見ほれていた。この映画、好きです。大好き。(★★★☆)


*1:←役名と同じ名前でデビューするんだそうです。