虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「しわ」

toshi202013-06-27

原題:Arrugas
監督:イグナシオ・フェレーラス
原作:パコ・ロカ
脚本:アンヘル・デ・ラ・クルス/イグナシオ・フェレーラス/パコ・ロカ



 俺はまだ、大丈夫だ。


 「そこ」へ息子夫婦に連れてこられた事は屈辱でしかなかった。エミリオはスペインで余生を過ごす元銀行支店長で、定年退職を迎えてしばらく経つ。だが、時折ふいに「銀行支店長」の頃に戻って、息子夫婦相手に融資の相談をしている、自分に気づいたりした。それでも、まだ、自分は、正常だ。そう、思っていた。
 その「老人ホーム」で最初にエミリオが出会ったのは、相手が言ったことをオウム返しする男・ラモンであった。まるで壊れたテープレコーダーのような男は、元ラジオDJであるという。しかし、今は自分の言葉を話せなくなってしまったらしい。正直、不安は隠せない。家にいますぐ帰りたい。けれど、もう。


 不安でいっぱいのエミリオを「部屋」で出迎えてくれたのはミゲルである。彼はエミリオのルームメイトであった。アルゼンチンなまりのその男は元はスペインの出身で、アルゼンチンで長く暮らしたあと、余生をスペインで過ごすと決めて戻ってきていた。そして、この老人ホームで暮らしてしばらく経つ。ミゲルは陽気で明るくそしてなにより、エミリオにはすごく「まとも」な「人間」に見えた。そのことはエミリオを少しほっとさせた。
 「ミゲル」は誰よりもホームの人間にも精通していた。むしろ「精通」が過ぎて、彼は時折「仲間」から金をだまし取ったりしていた。「毎日」電話を探して施設内をさまよってる認知症のソル、自分のいる部屋をオリエント急行だと思っているロザリオから、エミリオの目の前で、彼女たちに話を合わせながら金をふんだくった。
 食事の時間に出会ったのはおしゃべりな老婆ふたりとじっと寡黙にたたずんでいる老人。老婆の1人は孫のためにバターや紅茶を収集しているアントニア、もう1人は健康であるにも関わらず夫の世話のために「そこ」へやってきたドローレス、そして認知症を患い、妻の世話なしでは生活できないドローレスの夫・モデストであった。
 「個性的」で「少し壊れてる」面々が揃うホームの1階。そのホームには、2階部分があり、そこから奇妙な叫び声が聞こえてくる。ミゲルによると、そこは「認知症」が進行した老人たちが送られる場所である。ミゲルは「見ない方がいい」と警告する。そして、「2階」はエミリオとミゲルにとって「禁忌」の場所となっていく。



 予告編でも見られる、強烈なオープニングから、この映画は始まる。だが、主人公・エミリオにはその「病」に対する「自覚」がない。そして、彼を「狂言回し」にして老人ホームの日々を描いていく。「そこ」はまるで牢獄のようである。そして、老人たちは「少しずつ壊れていく」自分たちの現実から目を背けているようにエミリオには感じられる。彼の中に言いようも無い不安が広がる。


 ミゲルは「この場所でモラルは捨てろ」とエミリオに言う。
 彼は基本面倒見のいい人好きのする男であるが、現実主義のニヒリストでもある。生涯独身を貫いてきたミゲルは、「人生はクソだ。」という。どんだけ働いても、多くの子供や孫に恵まれても、ここにいる連中は、最後はこんな「牢獄」で過ごしているじゃないか、と。
 「現実を見る」か「現実から目を背けて生きる」か。それだけだ。その言葉はエミリオに深く突き刺さる。その上で、「現実にあらがって見せる」と決意して、エミリオは「客(=老人の息子たちや役人)」に見せるためだけに用意された、誰も使わないプールへと飛び込む。


 はじめは、エミリオから見た、老人ホームの「少しずつ壊れていく」人々の日常の物語である。だが、その途中から物語は、次第にルームメイトのミゲルの視点へと移っていく。エミリオが少しずつ病を進行させていくからである。
 エミリオが「自分」が壊れていく「現実」におびえながらも、ニヒルでありながらも情に篤いミゲルとの間に少しずつ友情を育んでいく。そしてミゲルもエミリオに対して、このホームの禁忌である「2階行き」をさせないために、色々と世話を焼いていく。
 俺たちは「沈没」しない。俺たちは「壊れたおもちゃ」にはならない。俺たちは「人間」だ。エミリオはそう自分に言い聞かせていた。


 しかし、エミリオはある日、自分に処方される薬が、妻の世話にならないと生活できない「認知症」のモデストと「ほとんど同じ」であることに気づいてしまう。


 前半部は「老い」や「病」に対する恐怖を求心力にしながら、後半、物語は意外な方向へと舵を切る。人には様々な人生がある。壊れていくとしてもエミリオが過ごした「人生」があるように、まわりの「壊れかかった」ように見える人々もまた「人間」であり、それぞれに紡いできた人生がある。
 情に篤いが故に「ニヒル」にならざるを得なかったミゲルは、エミリオがきづいた「あること」がきっかけで知る、ある夫婦のなれそめの話を聞いて、その逸話に衝撃を受ける。


 壊れていく人々をの中で、しごく健康に生きている男には、この場所は絶望的にしか見えてなかった。エミリオだっていずれ自分の元からいなくなる。人生はクソだ。どうしようもない。生きている限り続く地獄だ。そう思ってきた。けれど。


 「ニヒル」にならざるを得なかった男が、最後に「人間」への希望を取り戻す。生きている限り「人生は続く」。そんな当たり前のことを、ミゲルは再発見するのである。「老い」は止められないけれど、「老い」を受け入れて、寄り添うことはできる。どんなに「壊れてる」ように見えても、「本当に大切なもの」は俺たちに残っているから。
 「老い」の現実を容赦なく描きながらも、老いていく人々を高らかに肯定する「人間賛歌」として帰結する傑作アニメーションである。(★★★★★)


皺 (ShoPro Books)

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