虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「夢売るふたり」

toshi202012-09-08

監督・脚本・原案:西川美和


 酒を勧める女房に、うれしそうに口をつけようとした旦那がその手を止めて、「いやよそう。また夢になるといけねえ。」と言うのは、人情噺の「芝浜」のサゲだ。



 腕はいいのに酒が大好きで怠け癖のある魚屋の熊が、酒びたりの日々から妻の忠告で久々に仕事に復帰。芝の浜で大金の入った財布を拾い、持ち帰る。これからはしばらく遊んで暮らせると知り合いとどんちゃん騒ぎを始める亭主の言葉をきいた女房は、すっかり酔いが回って眠ったあとに目覚めた旦那を言いくるめ、拾ったこと自体を夢にしてしまう。拾った大金は夢。残ったのは自らが自らが仲間と飲み食いした代金。自分の怠け心が生み出したことだと思った熊さんは自らを恥じ、酒をぷっつりと断ってまじめに商売に精を出し始める。


 この映画の発端は、腕利きの板前職人である旦那(阿部サダヲ)と、甲斐甲斐しくお店を切り盛りする妻(松たか子)が長年守ってきた居酒屋を、ちょっとした不注意がもとの火事で失ってしまうところから始まる。旦那は再起をかけて古巣の修業先へと再就職するも、変わってしまった店との方針が合わずに喧嘩してしまい、店に顔を出すこともなく酒浸りの日々を送る。そんな夫を、妻はラーメン屋のバイトによって生計を支えていた。
 ある日、酒に酔って駅のベンチで横になっていた旦那は、かつて店の常連客の女性と再会。愛人に死なれ、親族から手切れ金を渡されてみじめな思いを抱えて泥酔していた彼女を介抱して部屋に転がり込み、自らの身の上話をしあっているうちに、旦那とその女性は関係を持ってしまう。そして、彼女は、旦那に、もらったばかりの手切れ金を渡す。
 いそいでもらった大金を持って妻の元へと戻る旦那。しかし、洗濯されていた旦那の上着を見て大金の出所を聞いた妻は、あっという間に旦那の不貞を看破し、それに気づいた旦那は風呂へと逃げ込む。そのことに頭に来ながら、旦那が持ってきた札束に火をつける妻。


 その大金を「溶かして」いく火を見つめる彼女の目からすうーっと光が消えていく。彼女の中に押し殺していた「何か」がゆっくりと溶けて、心の中をぐるぐると巡り始め、やがて彼女はたどり着く。彼女が探し求めていた「答え」に。


 「芝浜」では落とし主の名前は出てこない。その後も落とし主は現れない。しかし、この映画では「落とし主」を知ってしまったがゆえに、妻はある「悪魔のひらめき」の虜になっていく。
 自分は「旦那の影」として彼を支えて生きてきた。これからも生きていく。その揺るぎなき覚悟で生きる女性が、今の落ちぶれた旦那にぽんと大金を出す。そんな女性の存在に気づいたとき、彼女は何をひらめいたのか。


 この映画は言ってみれば、「芝浜」のもうひとつの形だ。「芝浜」は甲斐甲斐しい妻の機転が旦那を更正させ、やがてその温情に旦那は感謝する、という人情噺として成立させているが、「甲斐甲斐しい妻」のもう一つの側面とは、言ってみれば「旦那と添い遂げる覚悟」を持つ「女」だ。
 そういう女性にとって、「旦那を持たずに独りでいる女性」とはなにか?彼女が旦那の不貞によって気づいたことは、「『私の旦那』のような男を欲している寂しい女たち」の存在である。つまりそんな女が、この世の中にはたくさんいるのだという、確信を得る。

 彼女は、旦那の「不貞」の後ろめたさをダシに彼を操って、「結婚願望の強い女性」に対して「結婚詐欺」を始める。彼女が見定め、彼女の計画によって旦那は女性たちに近づき、籠絡していく。嘘はつかなくていい。ただ、自分が置かれた状況をそのまま彼女たちにぶつける。もともと気が優しく人なつっこい性格に加え、人生のリアリティさえあれば、それだけで彼女たちは旦那の存在の虜になっていく。彼女たちが求めるのは「理想的な王子様」ではない。「自分たちの人生を尽くしたいと思う男性」である。




 そんなふたりが用意する「夢」に釣られてしまう女性たちの造形も面白い。「結婚『なんか』もできないと思われることに疲れたOL』(田中麗奈)に、『引退のタイミングを計りかねたまま競技人生を続ける人のいいウェイトリフティング選手』(江原由夏)、『留学する夢を男運の悪さでふいにし続ける風俗嬢』(安藤玉恵)など、個性豊かな『人生』を持つ女性たちが揃う。
 彼女たちの人生の中にすっと入り込んでいく、『旦那』と神がかり的に計画を立てていく「女房」(松たか子が即興で旦那の電話越しの「女性」への伝言の『スクリプト』を書いていく場面は大爆笑。)の二人三脚によって、彼女たちは一時、自分の寂しい人生に一時の「夢」を見る。


 そこから「妻」が得られるものは何か。そんな独りで貯め込んでいる金をぶんどることと、彼女たちに対する圧倒的な優越感である。彼女は「新しい店の開店資金のため」と言いつつ、その犯罪に次第にのめり込んでいく。
 しかし、旦那はそれが負担になってくる。そもそも腕のいい、プライドの高い板前である。それが、なぜこんなことをしなければならないのかという葛藤の中にいる。しかし、それでも新しい人生の再起という『夢』と、色々迷惑をかけた妻への「負い目」から彼女の願いに応えようとするのだが、しかし、少しずつ心が妻から離れていく。そして妻もそのことをうっすら感じている。


 そのことが、この物語を、ひとつの収束へと導いていく。
 「夢になるといけねえ。」ではなく。「いっそ夢ならば良かったのに。」というかたちの。


 人情は温かいだけではない。ときに、暗く冷たい色を帯びる。そんな真実を見事にあぶり出しながら、それでも人が一時交わることによって、少し変わっていける人間への希望を物語に込める。そんな、西川美和監督の手腕が冴え渡る秀作である。(★★★★)

君にジュースを買ってあげる

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