虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「僕らのミライへ逆回転」

toshi202008-10-21

原題:Be Kind Rewind
監督・脚本:ミシェル・ゴンドリー


 僕の初めての映画体験はどこか。それは区民館だった。


 実を言うと、ひさしぶりの映画鑑賞なんである。ここ2週間くらい映画館から足が遠のいていた。休みが取れないせいで。体力的にも面でつらくなってきたのもさることながら、単純に映画を見て感想を書く。ただそれだけな自分を振り返り、なんとなく気が滅入っていたというのもある。難しいのだけれど、僕はどこか「映画批評」という言葉に幻滅を感じ始めていて、だけど、「映画批評」という言葉が与えるブランドのようなものは厳然として存在する。そんな現実に、なんのおもしろみも感じなくなっていた。ここ数年、「批評」だとか「レビュー」って言葉を意識的に避けていて、それは「批評」という言葉への忌避感でもあった。
 ぼかあ、批評するために映画を見ているわけじゃない。ふと、そんなことを思って。


 「映画を見るって、何?」


 シンプルすぎる問いに、答えが見つからない。そんな状態がここ最近、なんとなくもやもやとした気分でもあった。


 さて。
 「釣りキチ三平」で有名な矢口高雄さんの作品に「蛍雪時代」という自伝的作品があって。その作品の中に、矢口高雄さんが中学生時代に企画した映画上映会のエピソードがあった。
 矢口さんが少年時代、故郷の村には映画館はなく、映画は手の届かない娯楽だった。ましてやたとえ大ヒット作であろうとも、映画を見ることは出来ない。そこで矢口少年は生徒会で学校で映画の上映会を企画する。上映されるは黒澤明監督「七人の侍」!
 中学生が企画し運営するこの映画上映会。会場の体育館は、しかも当時の超話題作ということで、村人は押すな押すなの大盛況。中学生が企画したイベントだから予算はない。遠くの街にある映画館から1日だけフィルムを借り、すぐに返さねばならないため、自転車数台で運搬係がフィルムをせっせと運び、着いた時点で上映開始。そのフィルムが上映を終えたら、運搬係はすぐにそのフィルムを受け取り、映画館へフィルムを返しに戻らねばならない。
 運搬係の自転車がパンクするトラブルなどもありながら、校長先生の機転もあって、生徒会はなんとか上映会を成功させる。


 そんなエピソードをゆるゆると思い出した。ぼかあ、今思うと少しそのエピソードがうらやましく思う。彼らにとって、その「七人の侍」を見た時間は、生涯忘れられない体験となったと思うのだ。


 映画が作られ、それが映画館で上映され、それを見る。それはとても幸せなことだと思う。その作品がどんなかたちであれ、それが出来上がるまでの苦労の連続した時間、そして見てもらえることの悦び。
 毎年数多作られる映画の多くは、そういう「思い」から作られている。そういう思いを、見ている俺らはどこまですくい上げられるんだろうか。そのために映画を見なければならない。


 最初は、ただ自分たちの失敗を誤魔化すためにボンクラ二人組が始めた拙い「パチモン」映画作りが、やがて、町中の人を巻き込んだ「俺たちの映画」を作るんだ!という気持ちへとつながっていく。拙くたっていいじゃない。俺たちの中で作れる、最高の映画を目指そうよ。その気持ちだけで作られた映画がクライマックスに流れる。


 映画を作る。映画を上映する。そして、みんなで楽しむ。


 巻き戻せない時間の中で、作られた映画は、やがて、映画としてもっともシンプルなかたちへと導かれていく。それはとても幸福なかたちだった。
 ふと思うのだ。映画はそれでいいんじゃないか、って。本来そういうものだったんじゃないか、って。巧拙を論じることになんの意味がある?僕らは幸運にも映画をたくさん見られるならば、もっと、もっと映画で幸せになるべきだし、映画との幸せな関係を模索すべきなのだ。
 映画は一本一本が、特別ななにかで出来ている。メジャーである、メジャーでない。そんなことをこだわっても仕方がない。明日からも、映画から受け取った「何か」を書いていけたなら、それが幸せなことだな。そう思った。


 「映画を見るって、何?」


 この映画は、その問いに鮮やかにひとつの答えを導き出してくれた。
 今、映画を見ることが当たり前になってしまった時に立ち止まってしまった俺が、久しぶりの映画館でこの映画に巡り会えたことは本当に幸運なことだったと思う。大好き。(★★★★★)