虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ALWAYS 続・三丁目の夕日」

toshi202007-11-03

監督:山崎貴
脚本:山崎貴古沢良太
原作:西岸良平


 淳之介の父親は、茶川の小説を一読して、言う。


 「なるほど、実に君らしい。(中略)だが、現実はこうはいかない」




 前作「三丁目の夕日」が不幸だったのは、日本アカデミー賞を獲ったことであった。


 と俺は思っていた。
 公開時、俺はすぐに見に行って、この映画にノスタルジーを運ぶテーマパーク的映画、「昭和33年の夕日町」というファンタジー映画としての価値を見いだし、「必見」と感想に書いた。優れた娯楽映画として評価されて欲しい、と思ったし、ヒットして欲しいとも思った。やがて、商品としてロングヒットし、一定の評価を勝ち得たことは、個人的に大変嬉しく思っていた。
 だが、日本アカデミー賞という「お墨付き」までいただいたことで、「三丁目の夕日」は「日本映画バブルの代表例」扱いされ始める。
 この映画は決して、昭和30年代のリアルを描いていたわけではないし、そういうことを志向した映画じゃない。「こんなの全然リアルじゃない」という批判が出たり、「昭和という時代が描けてない」「脚本がダメだ」「基本がなってない」「観客はどうかしている」などという文章を眼にするたびに、俺は「こんなはずじゃなかったのに」と思う。俺は「ALWAYS」は、山崎貴という監督がようやく見いだした新天地であり、作家としてのひとつの到達点だと思っていた。「リターナー」のような迷走から脱し、見事娯楽作家としてのあるべき姿を見つけたことを素直に喜んでいただけに、日本アカデミー賞受賞以降の、散見されたバッシングの数々はあまりにも不当なものに思えた。


 そしてそんな中、製作された本作である。


 正直、最初続編の話を聞いたときは不安でしょうがなかった。もしかしたら、前作を水で薄めたような駄作になる可能性だってあった。監督がプレッシャーに押しつぶされれば、かつての迷走状態に逆戻りすることだって考えられた。だが・・・



 大・満・足! 前作を超えた、というよりも、前作をより輝かせる続編が誕生した!・・・と


 とにかく前作ファンが見たかった、彼らのその後がてんこもり。
 東宝を代表するキャラクターである「あいつ」が夕日町を破壊するオープニングに始まり、「あの作家」の偽物みたいな名前の駄菓子屋店主・茶川竜之介が、前作で彼を愛していたがゆえにストリッパーに身を堕とすヒロミと、本当の父親の希望を押し切ってまで引き取った淳之介のために、一念発起、「本物」になるべく「芥川賞」に挑戦する、というエピソードを物語の中心に据えながら、鈴木オート社長の過去話、奥さんが胸に秘めたかつての恋、預けられたはとこと一平少年の淡い初恋、六子を通して描かれる出稼ぎ少年少女の光と影など、様々なエピソードをぶち込む。前作からさらにディテールと拡がりを増しながらも決してブレることのない、さらに強固に完成された「三丁目」世界は、見事にそれらの物語を包括してみせる。


 そして茶川のエピソードのクライマックス。それはアカデミー賞受賞以降の前作の批評に対する返歌となっている。
 たとえ、賞にふさわしくない映画だったとして、じゃあこの映画に対して感動した人々は「バカ」なのか?レベルが低いのか?


 見誤ってるのはどっちだ? という叫びを、彼は前作を更に超える予定調和の中に織り込んでみせる。行き違い、すれ違い、だが、最後には大団円へ。予定調和で何が悪い。あんたらのいう「リアル」とやらが観客の心が掴めるってのか?山崎監督は、予定調和と批判を覚悟の上で更に突き詰めることで、「リアルじゃない」という批判を、確信とともに一蹴する。
 覚悟をもって、さらなる王道へ。より強固に完成されたファンタジー世界へ。前作を補完しながら、貫禄を増したそのスタイルは、威風堂々な横綱相撲。さまざまな批判すら力に変えて、ファンが考え得る最も理想的な続編を完成させた山崎監督に最大の賛辞を送りたい。


 というわけで、私はこの作品を断固支持する次第である。(★★★★★)