虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「長江哀歌」

toshi202007-09-09

原題:三峡好人
監督・脚本: ジャ・ジャンクー



 というわけで、シャンテ・シネで見てきました。



 自由市場主義の波が押し寄せ、ものすごい勢いで変貌していく中国。それは都市部だけではなく、地方にまで波及していく。「北京五輪」と並ぶ、急速な近代化を象徴する大事業、三峡ダムの建設がある。
 三峡ダムは1993年に着工、2009年完成予定。
 貯水池は湖北省宜昌市街の上流に始まり、重慶市街の下流にいたる約660kmに渡り、下流域の洪水を抑制するとともに、長江の水運の大きな利便性をもたらす。加えて、水力発電所は中国の年間消費エネルギーの1割弱の発電能力を有し、電力不足の中国において重要な電力供給源となる。


 巨大国家に誕生する「世界一のダム」。それこそが、「生まれ変わる中国」のシンボルのひとつとなる。
 しかし、そのために中国が喪うものもまた多い。


 李白杜甫が詩を詠んだ幽玄の世界、三国志で有名な白帝城など、歴史的名跡も多い三峡。それがまるまる、「消える」のだ。
 2000年も続いた街がわずか2年で消滅するという戦争の惨禍にも匹敵する大処理事業が、この映画の背景にある。



 三峡ダム建設の過程で水没しゆく街・奉節。妻子を求めて妻の実家のあるその街にやってきた炭坑夫のおっさんと、何年も連絡がない夫を探しにやって来た一人の看護婦の女性を通して、消えゆく風景とそれでも生きていかにゃならん人々、変わらないはずのものが変わっていく哀しみを、やがてダムの底に沈む壮大な風景の中描いていく。
 劇映画として突出した出来映えとは思わないが、現地で集めた素人俳優と、主演のハン・サンミンらプロの俳優が違和感なく馴染み、ゆったりとした社会の中に、急速に消えていく世界をリアルタイムで捉えるという、かなり現代性と社会性が濃い試み。
 世界も人の意識も、変わっていく。変わらないはずのものが変わっていく哀しみは、日本人が戦後通ってきた道とはまた、違う、もっと深い哀しみがあるのだと思う。共産主義の幻想に変わる、さらなる国家的求心力のための政策を掲げざるを得ない国家、その政策のために翻弄されている個人個人。10億人が暮らす中国のためとは言え、このダムの建設のために、110万人という住民が、家からも仕事からも追われ、強制的に移転を迫られる現実が、この映画にも散見される。
 この映画の「異邦人」たちはその目撃者となっていく。


 この映画は決して政治的な映画ではない。ただ、そこにある大きな国家が大きな変動をするとき、そこには何らかの犠牲が生まれざるを得ない。ましてや、そこに歴史的記憶が生まれた地が消えるとなればなおのこと、その喪失感は深い。
 この映画は、どんな国にもあるそんなドラマを、静かにそしてリアルに切り取ってみせる。この映画が、愛おしいのは、おそらく監督の目線が優しく、そしてその被写体達は常にしなやかに力強いからかもしれない。


 この映画の風景は、この先、見られなくなる風景なのだ。この映画が映し出すのは、グローバルスタンダードという言葉が、いかに残酷か、ということかもしれない。急激な変化を強要する残酷な世界でも人は生きていく。そんな眼差しが厳しくも温かい。(★★★★)